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大好きな僕のおばあちゃん

大好きな僕のおばあちゃん

※本記事は2021年4月26日に予約投稿したものです

私はおばあちゃん子だった。今でもそう。

父は工場で、母は銀行で働いていた。いわゆる、"共働き"ってやつだった。

学校から帰っても父や母はまだ帰宅しておらず、代わりに祖父母がいた。

祖父は過去の記事でも書いた通り、怖い人だったので話しかけずらかった。

でも、祖母は優しかった。私は優しい祖母が大好きだった。

働き始めてからも休憩時間に自宅に電話をして、よく祖母と話をした。

その時に祖母の声を録音したガラケーは充電器と一緒に今でも大事に保管してある。私の宝物だ。



優しいだけではなく、強い人でもあった。

あの祖父相手に口喧嘩で負けなかったし、怖そうな黒人が家に聖書を強引に売りに来ても一歩も引かずに追い払うような人だった。

買い物帰りにひったくりに遭ったが、事前に勘づいてそれを阻止。

「お前らなんかに取られへんぞー!」

という怒号をスクーターで逃げるひったくり犯の背中に浴びせた、という武勇伝まである。

ちなみに、その時の犯人は中高生だった。

言う時は言うが、普段は優しく、周りによく気を遣う。そんな人。



家族に気を遣ってお風呂も絶対最後に入っていたし、入院する前は食事も和室で1人食べていた。

私が御飯を一緒に食べようと誘ったり、先にお風呂に入ってもいいと言っても「ありがとう」と言うだけで聞いてくれなかった。

私は祖母が気を遣っているのが分かって、なんだか嫌だった。



80歳を過ぎてからも洗い物や洗濯といった家のことを精力的にしていた。

祖父が少しボケてきて介護が必要になった時も、ヘルパーさんがいない時は祖母が世話をしていた。

祖父は気難しい人だったので、ヘルパーさんは相当手を焼いたことだろう。

よく喧嘩をしているような2人だったけど、やっぱり夫婦なんだな。と、当時高校生だった私はそう思った。



母とも比較的仲も良かった。ドラマのように姑と嫁が仲が悪くて喧嘩する、なんてこともなかったように思う。

本当にしっかりした人で、最後まで認知症等でボケることもなかった。

もっと長生きしてほしかったけど、強い祖母も病魔には勝てなかった。

亡くなってしばらくは祖母がもうこの世にいないという実感がなく、焼かれて骨になってからも"それ"が祖母だとは思えなかった。

だから、不思議と涙は出なかった。



今でもたまに夢のなかに出てきてくれる。あの頃と変わらない姿で。

いつか私があの世に逝ってまた会えることができたら、おばあちゃんが死んでから体験した色んなことを話したい。

その前にいっぱい怒られもするだろうけど、それでもいい。

だって、おばあちゃんが大好きだから。

これまでも大好きだし、これからもずっと大好きなおばあちゃん。
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