誰よりも怖い存在・父
誰よりも怖い存在・父
※本記事は2021年2月23日に予約投稿したものです
私の父は近所や同級生の間でも怖いことで有名でした。
短気な性格で、とにかく怒るとめちゃくちゃ怖い人でした。
同級生のなかにも「赤鈴ん家のお父さん怖いから(遊びに)行きたくない」と言い出す子までいるほどでした。
休みで寝ている父を起こして怒られた子。行儀が悪くて怒られた子。理由は様々です。
でも凄く真面目で、ギャンブルも浮気もしない人でした。夜に綺麗なお姉ちゃんのいる店に行く、なんてこともせずに仕事が終わると真っすぐ家に帰ってきた。
車の運転が非常に上手く、アウトドア派な父はよく母と私、妹を連れて旅行に連れて行ってくれた。
まぁ相手ドライバーと喧嘩になったことが数回ありましたが……(ハンドルを持つと短気な性格に拍車がかかる)
特に祖父とは犬猿の仲で、1度なんかは危うく警察沙汰になるレベルの大喧嘩にまで発展したこともあります。その時は血を、見ました。
親戚まで呼び出し、「家族を連れて家を出る!」と言って聞かない父を全員で必死に説得して止めたものです。その日、私は初めて母の涙を見ました。
その後、祖父母とは別居することになりました。歩いてすぐの借家だったので、別居後もよく遊びに行きました。
父は教育にも非常に厳しく、私も何度父の平手打ちをくらったか知れません。
しかも、父は子どもだからといって手加減するような人ではないので、毎回毎回めちゃくちゃ痛いんです。
小学校低学年の時の授業参観で後ろにいる父の方を何度も振り返っていたら授業後に「ちゃんと先生の話を聞け!」とみんなの前で怒鳴られ、ぶたれたこともあります。当然の如く周りの人たちはドン引き。私は大号泣。
父に怒られるのが怖くて、痛くて、ぶたれる度に涙が枯れるほど泣きました。
まぁ怒られるようなことをする私が悪いんですが。
私は父を怒らせないよう、子どもながらに最大限気を付けました。
今でも相手を怒らせることに必要以上の恐怖を感じてしまいます。
だから完璧に、間違わないようにする。怒らせたくないから。怒られるのが怖くて堪らないから。なんともお恥ずかしい話です。
父は他人の子どもに対しても怒る時は本気で怒る人でした。といっても、さすがに手は出しませんでしたが。
こんなことがありました。
私が父に貰ったお金で前の記事にも書いたガンダムのカードダスを引いたんです。
そしたら、運が良いことにキラキラしたレアカードが当たったんです。
そのことを知った友達の1人が「そのカードをくれ」と私にせがんできました。
根負けした私は友達にそのカードをあげてしまいました。
そのことを知った父は大激怒。「すぐにそいつを連れてこい!!」と、家の外にまで聞こえるような怒声で私に言いました。
これから起こることを想像すると怖くて堪らず、私は半泣き状態で友達の家へと向かいました。
友達を連れ、戦々恐々といった面持ちで自宅に帰ると、二人とも正座させられてめちゃくちゃ怒られました。
無論、私だけ本気の平手打ちです。それを見た友達はドン引き&半泣き。
帰宅した友達の母親からお怒りの電話があり、電話越しに父と大喧嘩してました。
そんな父はバイクのレースが好きで、よく私を鈴鹿サーキットに連れて行ってくれました。
私にポケバイ(ポケットバイク)を買い与え、たまに二人で走らせに行ったりしてました。
それに影響された私の子どもの頃の夢は"モトクロスの選手になること"でした。
それが私が初めて描いた将来の夢でした。
私が小学5年生の時に父は亡くなりました。胃がんでした。享年39歳。
胃を全摘するも、すでに転移してしまっていて手がつけられない状態だったそうです。若かったので進行が早かったのでしょう。
その父の年齢に、もう少しで追いつきます。
ですが、その背中はまだまだ遠いように感じます。
大人になってから親戚の人に電話での私の声が父とそっくりで驚いた、と言われた時は少し嬉しかった。
小学生の頃、剣道を習っていた私に父が買ってくれた1本の模造刀。それは形見として今でも大切に飾ってあります。
もし今「将来の夢はなんですか?」と訊かれたら、私は「人生を生き抜くことです」と答えるでしょう。
人生を生き抜く。寿命を全うする。
私にとって、これはもはや夢なんです。
遠い、遠い夢なんです。
私は死んだら、父に怒られるでしょう。きっと殴られます。ボコボコに。
それを思うと、今から怖くて堪らないのです。
私の父は近所や同級生の間でも怖いことで有名でした。
短気な性格で、とにかく怒るとめちゃくちゃ怖い人でした。
同級生のなかにも「赤鈴ん家のお父さん怖いから(遊びに)行きたくない」と言い出す子までいるほどでした。
休みで寝ている父を起こして怒られた子。行儀が悪くて怒られた子。理由は様々です。
でも凄く真面目で、ギャンブルも浮気もしない人でした。夜に綺麗なお姉ちゃんのいる店に行く、なんてこともせずに仕事が終わると真っすぐ家に帰ってきた。
車の運転が非常に上手く、アウトドア派な父はよく母と私、妹を連れて旅行に連れて行ってくれた。
まぁ相手ドライバーと喧嘩になったことが数回ありましたが……(ハンドルを持つと短気な性格に拍車がかかる)
特に祖父とは犬猿の仲で、1度なんかは危うく警察沙汰になるレベルの大喧嘩にまで発展したこともあります。その時は血を、見ました。
親戚まで呼び出し、「家族を連れて家を出る!」と言って聞かない父を全員で必死に説得して止めたものです。その日、私は初めて母の涙を見ました。
その後、祖父母とは別居することになりました。歩いてすぐの借家だったので、別居後もよく遊びに行きました。
父は教育にも非常に厳しく、私も何度父の平手打ちをくらったか知れません。
しかも、父は子どもだからといって手加減するような人ではないので、毎回毎回めちゃくちゃ痛いんです。
小学校低学年の時の授業参観で後ろにいる父の方を何度も振り返っていたら授業後に「ちゃんと先生の話を聞け!」とみんなの前で怒鳴られ、ぶたれたこともあります。当然の如く周りの人たちはドン引き。私は大号泣。
父に怒られるのが怖くて、痛くて、ぶたれる度に涙が枯れるほど泣きました。
まぁ怒られるようなことをする私が悪いんですが。
私は父を怒らせないよう、子どもながらに最大限気を付けました。
今でも相手を怒らせることに必要以上の恐怖を感じてしまいます。
だから完璧に、間違わないようにする。怒らせたくないから。怒られるのが怖くて堪らないから。なんともお恥ずかしい話です。
父は他人の子どもに対しても怒る時は本気で怒る人でした。といっても、さすがに手は出しませんでしたが。
こんなことがありました。
私が父に貰ったお金で前の記事にも書いたガンダムのカードダスを引いたんです。
そしたら、運が良いことにキラキラしたレアカードが当たったんです。
そのことを知った友達の1人が「そのカードをくれ」と私にせがんできました。
根負けした私は友達にそのカードをあげてしまいました。
そのことを知った父は大激怒。「すぐにそいつを連れてこい!!」と、家の外にまで聞こえるような怒声で私に言いました。
これから起こることを想像すると怖くて堪らず、私は半泣き状態で友達の家へと向かいました。
友達を連れ、戦々恐々といった面持ちで自宅に帰ると、二人とも正座させられてめちゃくちゃ怒られました。
無論、私だけ本気の平手打ちです。それを見た友達はドン引き&半泣き。
帰宅した友達の母親からお怒りの電話があり、電話越しに父と大喧嘩してました。
そんな父はバイクのレースが好きで、よく私を鈴鹿サーキットに連れて行ってくれました。
私にポケバイ(ポケットバイク)を買い与え、たまに二人で走らせに行ったりしてました。
それに影響された私の子どもの頃の夢は"モトクロスの選手になること"でした。
それが私が初めて描いた将来の夢でした。
私が小学5年生の時に父は亡くなりました。胃がんでした。享年39歳。
胃を全摘するも、すでに転移してしまっていて手がつけられない状態だったそうです。若かったので進行が早かったのでしょう。
その父の年齢に、もう少しで追いつきます。
ですが、その背中はまだまだ遠いように感じます。
大人になってから親戚の人に電話での私の声が父とそっくりで驚いた、と言われた時は少し嬉しかった。
小学生の頃、剣道を習っていた私に父が買ってくれた1本の模造刀。それは形見として今でも大切に飾ってあります。
もし今「将来の夢はなんですか?」と訊かれたら、私は「人生を生き抜くことです」と答えるでしょう。
人生を生き抜く。寿命を全うする。
私にとって、これはもはや夢なんです。
遠い、遠い夢なんです。
私は死んだら、父に怒られるでしょう。きっと殴られます。ボコボコに。
それを思うと、今から怖くて堪らないのです。
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