自殺という選択
自殺という選択
唐突ですが、あなたは「死にたい」と思ったことはありますか?
私はあります。
小学生の時分から吃音症(きつおんしょう)の症状が出始め、その頃からいじめられました。
「中学に入れば何か変わる」と淡い期待を抱いていましたが、結果は悪い方へと変わりました。
いじめはエスカレートし、その頃から「死にたい」と思うようになりました。近所の釣り具屋でナイフを買い、死のうとしたこともあります。
中学は1年生の2学期から不登校になり、カウンセリングを重ねて登校できるまでにはなりましたが、別室登校が精一杯。教室には怖くて近寄ることもできませんでした。
結局、私の別室登校は卒業式当日まで続きました。
高校には奇跡的に入学できましたが、"名前が書ければ合格"というレベルのバカ校で、小中と仲の良かった友達ともバラバラに。正直"青春"と呼べるような良い思い出は1つもありません。友達もできませんでした。
働き始め、「もうこれでいじめられることはないだろう」と思っていましたが、いじめは"パワハラ"という形に姿を変えて襲ってきました。その結果、私は"うつ病"になりました。
また"死にたい"という気持ちが再燃し、それは以前よりも強くなっていました。
でも、その度に心のどこかで冷静な自分がいて
「本当に自殺で救われるのか」
と、問いかけてくるのです。
死んだことのある人なんていませんし、死んだらどうなるかなんて誰にも分かりません。
「生まれ変わる」「自殺を繰り返す」「地獄へ行く」「地縛霊になる」とか、話としては色々あります。が、どれも確たる証拠はありません。
つまり、自殺して楽になれる保証はどこにもないわけです。
たしかに、この世の苦しみからは解放されるかもしれません。ですが、もっと苦しいことが待っている可能性もあるわけです。
自殺した後で「やっぱり死ななきゃ良かった」なんて思っても、後の祭り。ゲームのように生き返ることはできません。
これから起こるであろう良いことや楽しいこと、これから放送されるであろう面白いアニメやドラマ。それらを全て犠牲にしてまで自殺するわけです。絶対に失敗はできません。
健康的な精神状態であれば、こんな割の合わない賭けに乗ることはないでしょう。
ですが、追い詰められ、冷静さを失った人間は「もうこれしかない」と思ってしまうのです。朝がくるのが怖くて、夜眠るのが怖くて、耐えられなくなるのです。"死"が非常に魅力的なものに感じ、純粋に死にたくなるんです。
でも、いざ死を目の前にすると怖くて、足がすくむ。当然です。誰だって死ぬのは怖い。
それでも、この先ずっと何十年も苦しまなきゃいけないのなら、今少しの間苦しいのを我慢して死んでしまった方がいい。そう思い、自身の首に縄をかける。それが自殺。最後の手段。自爆スイッチ。
特に、今はコロナの影響で生きずらい世の中となっています。
現に「2020年7月から10月までの"第2波"では(自殺率が)16%増加した」という分析結果を英科学誌が発表したそうです(東京新聞より抜粋 https://www.tokyo-np.co.jp/article/80195 )
自殺に関していえば、スイスでは自殺ほう助が合法化されており、自殺ほう助団体まであるのだとか。無論、安楽死の権利を得るには条件をクリアする必要があります。望めば誰でも安楽死できる、というわけではないらしい。
とはいえ、苦しみながら死ぬよりも安楽死で眠るように死ねるのなら、それに越したことはない。
人生100年時代。
正直そんなに生きたくないし、生きられる自信もない。
それ故に思うのです。おじいちゃん、おばあちゃんは凄いな、と。本当に尊敬します。
結論:おじいちゃん、おばあちゃんを敬いましょう。
私はあります。
小学生の時分から吃音症(きつおんしょう)の症状が出始め、その頃からいじめられました。
「中学に入れば何か変わる」と淡い期待を抱いていましたが、結果は悪い方へと変わりました。
いじめはエスカレートし、その頃から「死にたい」と思うようになりました。近所の釣り具屋でナイフを買い、死のうとしたこともあります。
中学は1年生の2学期から不登校になり、カウンセリングを重ねて登校できるまでにはなりましたが、別室登校が精一杯。教室には怖くて近寄ることもできませんでした。
結局、私の別室登校は卒業式当日まで続きました。
高校には奇跡的に入学できましたが、"名前が書ければ合格"というレベルのバカ校で、小中と仲の良かった友達ともバラバラに。正直"青春"と呼べるような良い思い出は1つもありません。友達もできませんでした。
働き始め、「もうこれでいじめられることはないだろう」と思っていましたが、いじめは"パワハラ"という形に姿を変えて襲ってきました。その結果、私は"うつ病"になりました。
また"死にたい"という気持ちが再燃し、それは以前よりも強くなっていました。
でも、その度に心のどこかで冷静な自分がいて
「本当に自殺で救われるのか」
と、問いかけてくるのです。
死んだことのある人なんていませんし、死んだらどうなるかなんて誰にも分かりません。
「生まれ変わる」「自殺を繰り返す」「地獄へ行く」「地縛霊になる」とか、話としては色々あります。が、どれも確たる証拠はありません。
つまり、自殺して楽になれる保証はどこにもないわけです。
たしかに、この世の苦しみからは解放されるかもしれません。ですが、もっと苦しいことが待っている可能性もあるわけです。
自殺した後で「やっぱり死ななきゃ良かった」なんて思っても、後の祭り。ゲームのように生き返ることはできません。
これから起こるであろう良いことや楽しいこと、これから放送されるであろう面白いアニメやドラマ。それらを全て犠牲にしてまで自殺するわけです。絶対に失敗はできません。
健康的な精神状態であれば、こんな割の合わない賭けに乗ることはないでしょう。
ですが、追い詰められ、冷静さを失った人間は「もうこれしかない」と思ってしまうのです。朝がくるのが怖くて、夜眠るのが怖くて、耐えられなくなるのです。"死"が非常に魅力的なものに感じ、純粋に死にたくなるんです。
でも、いざ死を目の前にすると怖くて、足がすくむ。当然です。誰だって死ぬのは怖い。
それでも、この先ずっと何十年も苦しまなきゃいけないのなら、今少しの間苦しいのを我慢して死んでしまった方がいい。そう思い、自身の首に縄をかける。それが自殺。最後の手段。自爆スイッチ。
特に、今はコロナの影響で生きずらい世の中となっています。
現に「2020年7月から10月までの"第2波"では(自殺率が)16%増加した」という分析結果を英科学誌が発表したそうです(東京新聞より抜粋 https://www.tokyo-np.co.jp/article/80195 )
自殺に関していえば、スイスでは自殺ほう助が合法化されており、自殺ほう助団体まであるのだとか。無論、安楽死の権利を得るには条件をクリアする必要があります。望めば誰でも安楽死できる、というわけではないらしい。
とはいえ、苦しみながら死ぬよりも安楽死で眠るように死ねるのなら、それに越したことはない。
人生100年時代。
正直そんなに生きたくないし、生きられる自信もない。
それ故に思うのです。おじいちゃん、おばあちゃんは凄いな、と。本当に尊敬します。
結論:おじいちゃん、おばあちゃんを敬いましょう。
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